2008年2月 9日 (土)

日東交通2046

Nittou2 また久しぶりの更新です。新潟交通以降、基本的に完成したものの展示場として利用することにしましたので、今後もこのような更新頻度になります。

今回は乗ったことはおろか見かけたことすらない日東交通です。

http://blogs.yahoo.co.jp/green8green8green

http://user.ftth100.net/BUS/bus-imgboard/futaba.htm

上のURLに投稿するために下の画像掲示板に張ったところ返信を頂きましたので、ついでに模型の解説をそちらへ書いてしまいました。こちらの画像は違う角度のものです。

上は二昔前に"某模型誌"に日東交通バスの記事を掲載された方のブログです。

当時私は小学生でしたが、トミックスからの改造ではなくプラ板を自作という内容に非常に驚き、真似して挑戦してみましたが見事に失敗した記憶があります。しかしながらその後も私がこの趣味を続けた原動力になった記事で、今でも大切に保管して今でもたまに眺めています。言わば私にとってバス模型趣味の原点になった記事でした。今回その方からコメントを頂きとても光栄です。あの頃からすれば今は本当にこのサイズのバス模型は充実し、いい時代になったと思います。どんな車種だろうと、事業者だろうと、標記が間違っていようと、そして若干の単価上昇があっても、シリーズを続けてくれるだけで感謝です。

さて、模型の解説は上記画像掲示板上で致しましたので、実車について(見たこともないですが)思うところを書かせていただきたいと思います。

プロトタイプは57年式K-EDM430で、まとまった台数が当初木更津営業所に配属されたそうです。まだR13などが幅を利かせていた頃、この車体はさぞ斬新に感じられたことでしょう。しかしながらリベット車体・隅にRのついた戸袋窓や非常口窓(58年式は長方形になったようです)、そして3Eと同じホイールアーチ(前輪の方が大きい)と、いかにも"モノコック"的な要素を多く持っています。上のブログでは上総湊へ転属になった後の様子しか写っていませんが、「路線バスワイドカタログ」という本に写っていた新車の頃の写真を参考に、今は廃止されたと言う「中郷経由上岩井」行にしてみました。

東京の隣の県の事業者である日東交通、ローカルっぽさは北関東の事業者に似た雰囲気を持っていると思います。前後ドアというのもポイントです。なかなか魅力的な事業者ですので、今後は古めの車両にも挑戦してみたいと思っています。

2007年10月 6日 (土)

南部バス

1 2 3 何ヶ月ぶりにか新しいものが出来ました。南部バスのBU04(2台)、BU15P中ドア増設車、CJM500です。

BU04のうち中ドアが折戸の車は自社発注車で、残念ながら後面の形状は確認できなかったので改造元の秋北バスのまま(後面窓が大きいタイプ)にしてあります。もしかしたら実車は幕つきのタイプだったのかもしれません。側面幕を中ドア後に移設した程度であとは色を塗り替えただけです。

引戸のものは京急あるいは臨港あたりからの中古車です。国際興業ノーマル品のマーカーランプ、前面方向幕モールドの撤去程度の改造で、他にはこちらも塗装の変更のみです。

BU15Pははとバスからの改造です。資料の写真の写りが不鮮明(しかも中ドアが開いているようなので)なため肝心の中ドアの形状が全く判りませんが、同社の他の増設車と同様のものであっただろうという推測で処理しました。屋根上も適当にいじってみました。

CJMは名古屋市営×2を使い車体を延長し、さらにフロントオーバーハングも延長するために前輪を後ろに移設しました。他は前面のCJM化(窓はエアロスターM)、側面幕の移設および大型化、屋根上とバンパーの交換など行いました。ところで南部バスでは同じ昭和57年式の同型式(元京急)が現役ですが、メッキバンパーや旧塗装、それに非冷房のためか、それと比較するとずいぶん古臭く見えます。

2007年7月 1日 (日)

山形交通高畠線跡

BU04の完成を以ってとりあえず新潟ブームは去り、金曜日から土曜日にかけて山形へ行ってきました。

山形新幹線も停車する高畠駅から5キロ強離れた高畠町の中心部へ。この区間は「まほろばの緑道」としてサイクリングロードが整備されていますが、昭和49年までは山形交通高畠線(電鉄)が走っていました。P6300302 さらに昔は宮城県境に近い二井宿という集落まで伸びていたとのことです。

画像は今も残る高畠駅舎(兼高畠営業所)です。地元産の「高畠石」を使った見るからに頑丈そうな建物で、鉄道廃止後もバスターミナルとして使われてきましたが、窓口は閉鎖されて久しく、また現在ではバスも立ち寄らなくなったために待合室も閉鎖され、かつての交通拠点の面影は完全に失われています。

引き続き鉄道小荷物の扱いを続ける、窓口を維持して定期券等の発売を続ける…といった条件で廃止が合意されましたが、上記の通り現在では誰もその条件のことなど覚えていない様子です。糠の目(現高畠)駅~高畠~二井宿観音岩まで相当本数設定された代替バスも10年以上前に廃止され、さらにはそれを引き継いだ町営バスまで廃止になってしまっています。もう一つの主要バス路線だった米沢~高畠~赤湯線も現在は米沢~高畠間に3.5往復が残るのみで、この駅跡には寄りません。

路線バスの衰退は全国的なものですが、とりわけ山形県は進んでいると思われます。高畠の隣、南陽市からは完全に山形交通の一般路線は撤退しており、県南部の中心都市である米沢市でも観光路線を中心に数路線が残るのみです。かつての網の目のように張り巡らされた路線図を見ると今の状態が信じられません。20年前の夏、父に連れられ初めて訪れた時に高畠駅前(JR糠の目駅が高畠に改称される前はこれが停留所名でした)~糠の目駅間で乗車したいすゞのバスを今でも憶えています。当時は運転手による肉声案内でした。この地に山形交通の路線バスが走ることは二度とないでしょう。

2枚目の画像は竹の森駅跡周辺で撮ったものです。あたりは水田だらけ、とてものどかで癒される反面、電車もバスも廃止になってしまった理由が分かる気がしました。P6300300

2007年6月18日 (月)

新潟交通

P6170008 P6170010 P6170009 製作中の古い北村車が一応完成しましたP6170011_1 ので、前作のCJMと並べてみました。実は今回仕上げの部分で大きな失敗をしてしまいまして、側面はアップで見るに堪えない出来です。ジオラマと一緒に並べるくらいならOKかな、といった感じです。CJMはただ実車の写真をみながら自分の感覚で近づけていけば良かったのですが、今回は実車に近づけつつも並べることを考えて寸法・屋根の傾き等、前作CJMとも整合性が取れるようにしなければなりませんでしたので、前後面や側幕などを参考にできた反面、手間が2倍かかったように思われます。特に後面はほぼ同じ形状ですので、同じように造形するのが大変でした(結局同じにできませんでしたが)。

さて、実車はCJMの項で記述したバス・ジャパンでも車番違いの車が出てきます。この車、白根・新潟市内に多く配置されていたようです。ちょっと古すぎて資料が無く、他には何もわかりません。もし何かご存知の方がいらっしゃったらご教示ください。

それにしても、地味な車です。

2007年5月28日 (月)

5E

BUの作業が進まない一方で、また別の改造を始めています。

U32k1 U32k2 加工はドア位置とパネルの変更で、充実感・オリジナリティ・労力・仕上がりなどのバランスを考えるとこのくらいの改造がちょうどいい気がします。

ATB modelsの記事を読んで「自分でも出来そう」と始めた改造ですが、実物の写真などを見ているうちになかなか魅力的な車両に見えてきました。考えてみれば5E+短尺・前後折戸というのはけっこう自分のツボにはまるスタイルでした。

実物は廃車が始まっているとか。この1~2年で絶滅する可能性もありますので、今のうちに見に行かないとならないですね。

2007年5月 6日 (日)

BU04D

半年振りの更新です。

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この連休で以前から放置されていた北村BUの作業を進め、画像の通り前面窓を入れて仕上がり具合をチェックする段階まで至りました。前回のCJM同様新潟交通にするつもりですが、この段階になって同社特有の側面幕の存在をすっかり忘れていたことに気づいたところです。プロトタイプはバスラマ98号「バスのカタログ-いすゞBUシリーズ」のコーナーに写真が掲載されている昭和49年式BU04Dで、バス窓の最終年式で側面幕下の車掌台窓が無いのが特徴の車です。

模型ですが、CJMと同じくRE2台がベースで前ホイールアーチを若干内側へずらしWBを調整した上前面・後面を北村っぽく加工、さらに今回は側窓(BDより)やドア(4Rより)を交換してあります。2_1  1_3

気合を入れてここまで仕上げましたが今後しばらくは忙しそうで、完成は当分先のことになりそうです。

2006年11月26日 (日)

やっと完成

Cjm470v5 Cjm470v4 Cjm470v6 Cjm470v8 数ヶ月前から手をつけていた新潟交通CJMがやっと完成しました。

今まで細かい点は以前書いた気がしますので、実車のことなどを書こうと思います。

プロトタイプはG378-Iで、「BUS JAPAN2号」中の「信濃川下り」とかいう名前の記事に登場しました。それによると81年式、中部営業所々属、非冷房などの説明があり、また新潟市内より4度目の乗車(白根~新飯田間)で初めて運賃表示き付の車両が来た、という記述もあります。その記事は86年のもの、まだこの車両も新車とは言えないまでも若い部類に入っていたはずです。普通新潟交通は新車を新潟市内に配置するので中部営業所在籍というのは分かるのですが、新潟~白根には白根営業所(当時)所属の経年車に乗車し、白根から先の新飯田線で中部営業所の車両に乗るというのがよく分からないです。間合い運用だったのでしょうか。いずれにしろ、1.本体在籍時の姿にしたい、2.市内線ではなくローカル路線運用時という設定にしたい、という条件があったのでこの記事は参考になりました。

記事によると「白根から先は更に細い道を走った」とありますので、中之口川の堤防を走る路線だったのかもしれません。旧白根市内の中之口川沿岸はとてものどかで美しい田園地帯で、これもいつか模型で再現してみたいと考えています。

さて、最後に模型についてちょっただけ。今回は5Eからホイールアーチを移植することで低床化しましたが、いかがでしょう?4Rと並べた画像を見る限りはちょうど良い高さになったように感じられます。関係ありませんが系統幕の「郊」が新潟交通らしくて気に入っているところです。

2006年10月 9日 (月)

また新潟の話

ちょっとくどいのですが、7月に新潟市(旧白根市)新飯田で撮影した画像をご紹介いたします。Niida4Niida3

新飯田へは新潟から高速バスが走っている他、三条、燕、加茂、白根等から路線バスが出ています。今回は三条からバスで向かいました。

廃止になった新潟交通電鉄線にも新飯田駅がありましたが、街は中之口川の対岸にあります。画像のように新潟らしい雁木を持った古い建物が目立つ一方、3階建ての比較的近代的なビルもあります。模型でジオラマを作る場合、このようなビルを組み合わせるとよりリアルになりそうですね。

街の東端に国道8号線が走っており、以前は新潟交通新飯田車庫がありましたが数年前に廃止され、現在は駐車場になってしまっていました。Niida5Niida6

車庫跡の周りのフェンスに貼ってある地図には「三条営業所新飯田車庫」という表示が残っています。

この後古い町並みの中心にある「新飯田仲町」から電鉄代替バス(潟東営業所-燕駅前線)に乗って燕へ引き返しました。バスは街並みを抜け、写真奥の土手を上ったところにある古びた新飯田橋を渡り、電鉄と同じ中之口川西岸を燕へと向かいます。Niida2

いつかはこんな街並みを模型で再現してみたいと思っています。。

ところで、「山ノ下HP」の掲示板http://8023.teacup.com/yamanoshita/bbs」によると、以前ご紹介したなまずのG744が廃車になってしまったそうです。刻一刻と絶滅に近づいている様子で寂しい限り。1年後には何台残っているでしょう?

   

北村MR

CJMが全然完成の気配を見せない中、また新たな改造に取り掛かってしまいました。Mr1_1 Mr2

プロトタイプは新潟交通にあった1970年頃の製造と思われる三菱-北村のMR410です。純正の三菱・呉羽車体と同じように前扉直後に固定窓があり、最後部の窓が引き違い式なのが特徴です。

模型はバス窓をBDより、後ろ扉は4Rをそのまま切り抜き、前扉は4Rの後ろ扉を2つあわせて使用しています。この時代の北村らしく見えるでしょうか?ライトベゼルは実車がUDと同じものを使用していたようなので、それに倣って4Rから切り抜いたものを使っています。Mr3_1

ご覧のとおり、まだドア側しか手をつけていません…永久に完成しなさそうな1台です。

2006年9月24日 (日)

新潟交通CJM470V

   以前作っていた新潟交通CJMは仕上がりが不満だったので最初から作り直すことにしました。RE大阪市営をベースにFOHを別のREから移植して0.5ミリ程度延長し、前後面、ドア、戸袋窓、屋根断面などを北村に見えるよう加工…というのがもう2ヶ月も前のことで、今回進展があったのは側窓の上下昇降化とホイールアーチの低床仕様化のみです。北村の低床車(新潟交通のみに在籍か?)はホイールのアーチがとても深く見えるのが特徴です。ここを再現すべくバスコレ第6弾の5Eから移植し、同時にWBを少しだけ縮めます。Cjm2Cjm1

まだホイールアーチ周辺の継ぎ目も埋めておらず屋根も丸坊主の状態です。雰囲気を掴むために方向幕のシールだけ貼ってあります。この一目で新潟交通と判かる側面幕が何とも魅力的な車両です。Cjm3 Cjm4

後輩に当たる「なまず」と並べてみました。新潟交通のCJMは同世代のUDやふそう車よりも早めに郡部へ転出し、冷房化改造もされず廃車も早かったようです。あまり評判が良くなかったのでしょうか?

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